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日本でいちばん売られているコピー用紙の原料調達地を訪ねる インドネシア・ジャンビ州                            ― 収奪された農地を深い覚悟で取り戻すことを決意した農民たちの戦い ―

JATAN運営委員 原田 公

アジア・パルプ・アンド・ペーパー(APP) が「森林保護方針(FCP)」を発表してからもうすぐ2年が経とうとしている。JATANでは今年8月にジャンビ州を訪問し、APPにパルプの原料を調達している現地サプライヤーのコンセッション内に存在するいくつかの村でヒアリングをふくむ調査をおこなった。そのひとつ、セニェラン村は、APPが社会紛争解決プログラムの優先地域のひとつとして位置づけている村である。APPはセニェラン村とのコンフリクトはすでに和解が成立していると述べているが、今回の調査ではその「解決」が《両者円満》という内容からほど遠く、またAPPがFCPのファシリテーターとして雇用しているTFT(The Forest Trust)の仲介方法にも問題があることがわかった。

JATANでは今年8月にWKSと農民との間で係争がつづいているテボ県のルブク・マンダルサ村、ムアラ・キリス村と西タンジュン・ジャブン県のセニェラン村、スンガイ・ランダク村を訪問した。いずれの村でも紛争に伴う軋轢は小康状態に入り、にわかに暴力事件に発展する気配は感じられなかったものの、農民と住民側から見る限り、土地の収奪をめぐる本当の解決までは道のりは遠いという認識を持った。

1. PT. Wira Karya Sakti(ウィラ・カルヤ・サクティ:WKS)
WKSはシナル・マス・フォレストリ(SMF)傘下の、APPがジャンビ州に所有するパルプ・製紙工場PT. Lontar Papyrus Pulp & Paper(LPPP)にパルプ材を調達する主要なサプライヤーである。WKSは林業大臣令346/Menhut-II/2004の発効を受けることで、ジャンビ州に293,812 haという広大なコンセッションを持つにいたった。このうち、アカシアなどのパルプ用植林造成に割り当てているのは194,798 ha (66%)である。また、APPが「独立系」と称しているサプライヤーのTebo Multi Agro (TMA) とRimba Hutani Mas (RHM)はいわば、WKSの下請けとして、同じジャンビ州にそれぞれ51,260 ha、19,770 haのコンセッションを持っている。これらAPP系列の三社が持つコンセッションの合計面積は、ジャンビ州全体に分布するパルプ用産業造林権(HTI)の発効面積663,809 haの55%に相当する。WKSがLEI(インドネシア・エコラベル協会)の森林認証を取得しているのは246,482 ha で、全体の84%にあたる。

ジャンビ農民組合(Persatuan Petani Jambi: PPJ)は2013年2月22日、WKSがこれまで州の5県(Lima Kabupaten)にわたる合計約41,000 haについて土地収奪をおこなったことを告発している。そこでは、少なくても14,000人が会社に農地などの土地を奪われる被害にあっているという。5県の内訳は、西タンジュン・ジャブン(Tanjung Jabung Barat)、バタン・ハリ(Batang Hari)、ムアロ・ジャンビ(Muaro Jambi)、東タンジュンジャブン(Tanjung Jabung Timur)、テボ(Tebo)。WKSは前述の2004年発効の林業大臣令以前に、1996年に林業省からNo. 744 / Kpts-II / 1996を与えられ最初の78,240ヘクタールのコンセッションを得ている。2004年にはWKSの操業を後押しする州知事の通達も出されている。省令には地元住民の居住地や農作地がある場合にはこれらをコンセッションから除外しなければならないと明記されている。だが、現実にはこれとはまるで逆のことがおこなわれてきた。

ジャンビ州全体のWKSコンセッション293,812 haの内訳は、西タンジュン・ジャブン:138 669 ha、バタンハリ:76 691 ha、ムアロジャンビ:13 029 ha、東タンジュン・ジャブン:48 507 ha、テボ:16, 916 haである。APP系列の会社が抱える土地問題の係争はジャンビ州の三分の二におよんでいる。

2. ルブク・マンダルサ村(Desa Lubuk Mandarsah(Madrasah), Kecamatan Tengah Ilir, Kabupaten Tebo)
WKSが奪ったとされる41,000haのうち、7,224haはテボ県のルブク・マンダルサ村周辺の農地である。このあたり一帯はテボ県でも有数の豊かな米作地帯で、コメ以外にもキャッサバ、バナナ、ゴム、アブラヤシ、各種野菜などの商品作物が栽培されてきた。また、デュク、ランブータン、ドリアンといった果樹も豊富にあったという。しかしWKSのために、豊かな収穫を祝う村の祭りの行事も途絶えてしまった。現在ではほとんどはアカシアやユーカリの植林が造林されているが、農民たちのグループは現在、700ヘクタールほどの土地を占拠し、またWKSが戻ってくるのではないかと怯えながらも強い覚悟でかつての農業を復活させようと奮闘の日々を送っている。以下、現地でのヒアリング結果とPPJなどのレポートからの情報をもとに、マンダルサ村の土地紛争を振り返ってみる。

WKSがルブク・マンダルサ村で重機を使ってアカシア植林の造成を開始したのは2006年。以来、農民たちと企業の間で深刻な対立がはじまった。マンダルサ村にはエリアごとに八つの農民グループ(kelompok tani)が存在する。うち二つのグループがWKSに奪われた農地が多いことから、会社側に対して強い反感を抱いている。WKSによる農地の収奪に対して、地元の農民たちは村長をはじめ、郡長(Cemat)や県知事(Bupati)に対してコンセッションの撤回をふくむ陳情を繰り返しおこなうが、ただ行政の無力さを痛感する以外にはなかった。

2006年にWKSは軍と警察を従えて重機をブキ・バカール(Bukit Bakar)とブキ・リンティン(Bukit Rinting)に進入させてきた。住民は自分たちの大切な農地が破壊されるのを目の当たりにして、郡長に申し入れたが、国の林業省発効によるコンセッションを前には「何もできない」といわれる。そこで植えられたばかりのアカシアの苗木を抜くなどの対抗策に出て、そこにバナナやキャッサバなどを植える。しかしその後もWKSはさらに村の敷地内に重機を進める。住民の主張によれば、破壊された農地の一部は、森林地域外に指定される「他用途地域(Areal Penggunaan Lain: APL)」だという。APLの管理の権限は地方政府が持ち、林業省がコンセッションを発効できない土地だ。対立の深刻さが増すなか、住民側の圧力を受ける形でテボ県の県知事も介入し和解の調停が進められるかに見えたが、WKSの操業拡大は止まらない。この間、住民はWKSの駐在所に数回のデモ抗議を行うも、農地はブルドーザによって破壊されつづけ、生業の土地が壊滅的な打撃を受ける。一方で反対農民に対する警察による威圧行為は強まっていく。なかには自発的に会社のコンセッションから退去したり自らの農作物を引き抜く農民もいたという。そんななかで或る出来事が起きる。2007年11月、ハッジ(Haji)と呼ばれるメッカ巡礼に参加した村人の一人が帰国後に自分の農地ばかりか住居まで壊されているのを目の当たりし、彼のために村を挙げての壮行会まで開いた住民たちがその失望と怒りに共感したのだった。2007年12月28日、農民たちはWKSに対して苦渋の実力行使を決行する。

2007年12月28日、金曜の礼拝に集まった農民グループは重機を燃やすことを決意する。会社の重機置き場には500人を超える人たちが集まったという。かれらが放った火に会社保有の11台の重機、1台のバイクが焼失する。夜になると警察がやってきて21名が拘留される。うち9名が先導者として逮捕され、全員に15ヶ月の禁固刑の判決が下される。120名もの大規模な警察隊の投入を受けて、直接、襲撃に関わらなかった住民たちも逮捕を恐れてメダンやジャンビまで逃げたという。この事件は多くのメディアが取り上げ、中央からもKOMNAS HAM(国家人権委員会)、林業省が視察に訪れた。PPJ、コミュニティ、州の警察・軍から成る、和解に向けた州政府主導の調査チームが結成され、当時のカバン林業大臣も解決を約束したという。

2008年以降に入るとPPJを中心に5つの県の被害農民がともに政府に対してWKSのコンセッション撤回を要求するようになる。3月17日には PPJの農民たちを中心に約16,000人がジャンビ州知事庁舎を取り囲み、WKSに奪われた土地の返還を要求する。それを受けて、ジャンビ州知事は、和解案として、WKSのコンセッションにふくまれる係争中の土地41,000haと森林事業権(HPH)がかつて発給されていた41,000haの合計82,000haを住民に返還し、その一部でジェルトゥン(キョウチクトウ科の広葉樹)などのコミュニティ・プランテーション(HTR: Hutan Tanaman Rakyat)にする計画を示す。HTRは林業省による、「村落林(Hutan Desa)」などと並ぶ住民参加型森林管理のスキームのひとつである。この計画には、農民もWKSも同意し、林業大臣も承認した。農民たちは合意事項が実現されるのを待ったが、ひとつとして実行に移されない。これ以降、このHTRがPPJなどからのコンセッション撤廃要求を拒む口実に使われるようになる。

HTRの提示からちょうど2年後の2010年3月17日、PPJのメンバーらが州議会や州知事庁舎の前でデモを行い、合意を破棄することを表明するとともに、コンセッションの撤回を要求する。抗議グループの代表者は官房長(Sekretaris Daerah)のFirdaus(2014年に汚職で逮捕)らと面談し、州政府を挙げて事実究明のための検証チームを結成し、問題の解決に向けて取り組むという約束をとりつける。デモに参加したムアロ・ジャンビ県の農民によれば、地域の1,877ヘクタールの農地に植えられたアブラヤシやゴムがWKSによって破壊され、567名の住民が被害を受けたが何ら補償がされていないと訴えている。一方、WKSのスポークスマンはこれを否定。PPJについてはHTRによるCSR活動を行っていると釈明する。結局、このHTRの事業は失敗した。そもそも植林用のコンセッション(HTI)の土地にHTRを重複発給した州知事の責任を問う指摘が農民組合から出されている。この年の11月、後述するように西タンジュン・ジャブン県のせニェラン村で、警察隊との衝突で農民一名が死亡する。この不幸な事件はマンダルサ村のみならず他の県での農民の戦いに深い影を落とす。抗議デモによる闘争は奪われた土地の奪還要求という形に変わっていく。

マンダルサ村:農地の奪還に立ち上がった農民。背後はWKSのユーカリ植林
マンダルサ村:農地の奪還に立ち上がった農民。背後はWKSのユーカリ植林


WKSコンセッション・ユニットVIII(テボ県)
Source: Walhi Jambi[/caption]

マンダルサ村:農地にWKSの重機が入る
マンダルサ村:農地にWKSの重機が入る


マンダルサ村:アカシア植林の間隙を埋めるように奪還地に広がるゴム農園[/caption]

3. ムアラ・キリス村(Desa Muara Kilis Kecamatan Tengah Ilir Kabupaten Tebo)
マンダルサ村に隣接するムアラ・キリス村にはインドネシア最後の遊動民と呼ばれるオラン・リンバ(Orang Rimba / Anak Dalam)のグループ、およそ63世帯が定住している。かつては森林を遊動しながら狩猟採集の生活を送っていたが、その熱帯林もアカシア植林に変貌してしまったため、村の一画に居住し農耕に従事するようになっている。WKSとの交渉で200ヘクタールの土地の貸与を約束されたが依然、その約束が果たされていない。この200ヘクタールの土地は森での生活を止めざるを得なかったかれらの生存にとって死活問題だ。

ムアラ・キリスでは、南スマトラのルブク・リンガウ村(Desa Lubuk Lingau)から移住してきた農民の方から聞いた話は大変痛ましい。いずれこの土地に集落(Dusun)ができて土地が持てると人から聞いて家族とともに2006年に移ってきたというジュナイディ(Junidi)さんの話。ルブク・リンガウ村から他の13家族と入植してしばらくの間は米作地などを増やしていったという。しかし2007年9月のある日、この土地にもWKSが警察を従えたブルドーザでやってくる。同郷のスカント(Sukanto)氏は丹精込めてつくりあげた米作地が目の前で根こそぎ破壊されるのを見て突然発作に見舞われる。病院に担ぎ込まれ治療を受けた後、小康状態になったところで村に戻ってくる。だが、その日のうちに帰らぬ人となる。亡くなる前に「土地を失ってはもうやってはいけない」と親友のジュナイディさんに語ったという。WKSは村人たちの懇願にもかかわらず農地の破壊をつづける。これ以降、村人たちはPPJに加入しWKSから自分たちの土地を取り戻すために地元の政府に何度も陳情に行くが、一向に反応はない。

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ムアラ・キリス村:村の一角に居住するスク・アナック・ダラム(SAD)のグループ。かれらもWKSとの間で土地の問題を抱えている 撮影:内田道雄[/caption]
ムアラ・キリス村:スカント氏が眠る墓
ムアラ・キリス村:スカント氏が眠る墓
ムアラ・キリス村:親友を失ったジュナイディさん(右)
ムアラ・キリス村:親友を失ったジュナイディさん(右)

4. 700 haの奪還
マンダルサ村の農民たちはアカシアの2回目の収穫が終わった後の間隙を突いて、およそ700 haの土地を取り戻そうとしている。奪われた土地の一割にも満たない。返還を請求している土地(かつてかれらはTalang Pisangと呼んでいた)には、バナナ、キャッサバ、ペッパーなどの作物が育っている。ゴムの苗木がアカシアの植林の間を縫うように植えられているところもある。グループのリーダー格の男性の面影には強い決意と小さな自信が見える。ただ、いちばん大きな感情は不安と恐怖だろう。「(WKSが戻ってきても)もう二度とこの土地は手放さない」と断固とした口調で語っていた。その気持ちの奥底にはきっと、警察や軍から受けてきた威嚇がトラウマのように残っているはずだ。仮設の作業小屋には自分たちの訪問もあってか、多くの人でにぎわっている。この土地に農業をしに戻ってくる住民は増えているという。すでに51世帯が居住している。賛同する住民から週に少額の寄付を集めて礼拝所をつくる計画もある。

マンダルサ村:WKSの標識 撮影:内田道雄
マンダルサ村:WKSの標識
撮影:内田道雄
マンダルサ村:「われらが農地」占拠地に建てられた集会小屋
マンダルサ村:「われらが農地」占拠地に建てられた集会小屋
マンダルサ村:どんな脅迫にあっても二度と農地を手放さないと農民グループのリーダーは語っていた
マンダルサ村:どんな脅迫にあっても二度と農地を手放さないと農民グループのリーダーは語っていた

5. セニェラン村(Desa Senyerang Kecamatan Senyerang, Kabupaten Tanjung Jabung Barat)
セニェラン村一帯は遅くても1927年からコミュニティによるココヤシの栽培が受け継がれてきた場所であった。1995-96年にはココヤシ・プランテーションを拡大するために分割前のペンガブアン郡(Kecamatan Pengabuan)の承認のもとに、土地所有権利書(Surat Keterangan Tanah: SKT)が村長に付与される。さらに、ジャンビ州の土地利用区分(Rencana Tata Ruang Wilayah Propinsi: RTRWP)において同じエリアがAPLに分類される。こうした土地の確保を背景にコミュニティのココヤシ、コーヒー、キャッサバ、他の商業栽培が安定的に発展していくはずだった。しかし大きな転機は間もなくやってくる。

2001年に西タンジュン・ジャブン州の条例(perda)No. 52/2001と林業大臣決定No. 64/Kpts-II/2001が発効されるにおよんで、このエリアはHTIに転換され、利用権はWKSの手に移ってしまう。WKSによって一帯の泥炭湿地帯を掘削されたカナル(水路)は1番から19番まで、面積は総じて7,234ヘクタール、収奪の被害を受ける世帯はおよそ1,600世帯におよぶ。自律的に農業を営んできた農村の光景は一変する。農民たちはこぞって、PPJに加入し、WKSと政府に対して抗議の姿勢を強めていき、やがてWKSが雇用した警察隊と対峙することになる。

2010年、収奪された農地の奪還に向けて動き出す。その年の11月には約2,000名の農民が、WKSが切り出した木材をパルプ工場のLPPPに搬入するのに使用しているペンガブアン河(Sungai Pengabuan)に漁船で乗り出し、搬入阻止の河上ブロケードを開始する。そしてついに11月8日、農民の一人、アーマッド・アダム(Ahmad Adam)という45歳の男性が、WKS所有のボートに乗ったインドネシア国家警察装甲部隊の狙撃手に額を打ち抜かれ死亡する。このときの模様は動画サイトでも閲覧することができる【閲覧する場合は、遺体の画像がふくまれていますのでご注意ください】。

死亡事件が起こる前の2010年11月1日には林業省、WKS、各地方政府を交えての会合が持たれている。その際に、和解案として三つのオプションが農民たちに示される。①農民たちとWKSによるパートナーシップ、②HTR、③セニェラン村の土地をALPに地位変更。11月18日、農民側は①に同意したものの、交渉は暗礁に乗り上げる。政府が仲介に乗り出す。2011年5月6日、林業省が国家森林評議会(DKN)に対して調停を要請。しかし、農民側は調停交渉の遅延を理由に同年12月21日、カナル14番から19番を占拠する

2013年6月5日、ついに和解のMoUが成立する。7,234haのうち4,004haでWKSと住民のパートナーシップ事業をおこなう。当初、PPJ(住民)は4,004 haのすべてでゴムを植えたかったが、WKSが拒否。その結果、1,001 haは住民のゴム園に割り当て、残りの3,003 haはアカシア植林に決まる。ゴム園のための種子を買う費用としてWKSは住民に30億ルピア提供する。アカシア植林では、2014年から2017年まで年間7億5千万ルピアの収益、それ以降は5億ルピアが保障されるという。村では青年グループの代表でTFT側との交渉にずっと参加してきた男性に話を聞いた。三年におよんだ抗争に精根尽き果てたというその若者はヒアリングの最後でこう語ってくれた―「交渉の結果に村の誰もが満足していないことはわかっている。WKSとの紛争を抱えている他県のコミュニティが、セニェランの解決から多くのことを学んで、少しでもよい成果を出すことを望んでいる」。

セニェラン村:WKSコンセッション・ユニットVIに囲まれたパートナーシップ事業地4,004ha (赤い境界線) Source: Forest Peoples Program
セニェラン村:WKSコンセッション・ユニットVIに囲まれたパートナーシップ事業地4,004ha (赤い境界線)
Source: Forest Peoples Program
セニェラン村:故アーマッド氏の奥さんと子供。村で真っ先に出迎えてくれた WKSによる補償は一切ない
セニェラン村:故アーマッド氏の奥さんと子供。村で真っ先に出迎えてくれた WKSによる補償は一切ない

6. ランダク村(Sungai Landak, Kecamatan Senyerang, Kabupaten Tanjung Jabung Barat)
現在、636世帯、約2,400人が暮らすランダク村では、1993年に当時の村長からSKTを取得して、農地がつくられはじめたという。ただ行政上は、2011年の区画再編でセニェラン村から分離してできた比較的新しい村である。セニェラン村の東側に隣接しており、WKSが掘削したカナルはランダク村にもおよんでいる。したがって農地の収奪による犠牲はセニェラン村と同じだが、この村の場合、PPJによるファシリテーションを受けておらず、APP(TFT)とまだ交渉をしていない。隣のセニェラン村における「解決」を反省材料に学ぼうとしているようだ。インドネシアでは泥炭湿地帯での伐採の一時凍結(モラトリアム)が2011年に発表されたが、現地のNGOがこのオンサイト調査のために同村を訪問した際に問題を発覚したという。州のRTRWPによって、APLの土地(1,137ha)もHTIに変わったことで住民が農耕できる機会も失われてしまった、と農民グループの代表は語っていた。

11の農民グループのうち5つのグループがWKSのアカシア植林に反対している。ランダク村でもWKSのコンセッションから農地を取り戻す動きがはじまっている。居住エリアから南に5キロほどいったカナル19番までのあいだの土地を農民たちが奪い返している。ビンロウジュ、アブラヤシ、ココヤシ、ゴムなどを植えている。そのさらに南側に位置する、カナルの16番から18番まではアカシアも農地もない、いわば緩衝地帯になっている。ただ、マンダルサ村と同じように、農民たちはいつなんどきWKSが戻ってくるのではという奥深い不安を抱えながら農地の復元をおこなっている。WKSの影響は土地の収奪に限らない。アカシア植林から飛来するクンバン(kumbang)によるココヤシの被害が広がっているという。

ランダク村:コンセッション北端のカナル19番を指し示す農民のリーダー
ランダク村:コンセッション北端のカナル19番を指し示す農民のリーダー

7. TFTによる「調停」
TFTはマンダルサ村農民による、自然林の伐採などをふくむAPPのFCP違反の苦情にもとづいて現場での検証をおこなった。TFTのほか、APP、SMF、グリーンピースそして村側の農民代表によるチームが編成され、現場での調査がおこなわれた。今年1月に発表された検証結果レポート”TFT: Verification Report Relating to a Grievance Made Against PT. Wirakarya Sakti“によれば、河畔林伐採後のアカシア植林やAPP系列の別サプライヤーによる自然林採取といった農民側の訴えはすべて根拠がなしとして退けられている。検証に参加した農民二名とかつてPPJで活動していた農民グループのファシリテーターの話によれば、TFTのレポートはWKS(APP)側の利益に偏している。TFTやAPPの検証参加者の名前と並んでと自分たちの名前が掲載され、いかにもマルチステークホルダーによるコンセンサスがあったかのような体裁を繕っているが、公表前に内容証明の要請もなければ、内容自体にも自分たちの声が反映されていないと語っている。このファシリテーターは、詳細な反論を作成し3月にTFT、APPなどに送付している。その反論では、アカシアが植林されているエリアはWKSが掘削した人工の水溝(trench)などではない。植林に伴う施業によって川幅がだいぶ減少し、がれきなどで意図的に塞がれてしまったが、自然の川であると述べている。マンダルサ村の700 haの占拠は2013年9月からはじまっているが、2014年2月にTFTから呼ばれてジャカルタで会合を持った際に、<係争を本当に解決したいなら占拠をやめて出て行ってくれ>と言われたという。そもそもWKSとの対立の原因はどこにあるのか、そう考えるのはマンダルサ村の農民だけではないだろう。その発言以来、農民たちのTFTに対する信頼は一挙に失せていく。

マンダルサ村:植林に伴い造成したと主張されている河。じつは、企業が来る前は川幅が数メートルもあったという
マンダルサ村:植林に伴い造成したと主張されている河。じつは、企業が来る前は川幅が数メートルもあったという

APPが紛争解決の優先プロジェクトと称しているセニェラン村の例を見ても、決して解決の「モデル」と判断することはできない。TFTの調停は明らかにAPP側の利益に偏した、はなはだ中立性を欠いた演出と言っても過言ではない。和解によって得られた農民たちのゴム園は、収奪された面積の八分の一に過ぎず、保証金が払われるとはいえMoUの対象地の八分の三にはWKSのアカシアが植林される。優先プロジェクトと位置づけられたセニェラン村の紛争解決プロセスには多くの注視と期待が注がれていたはずだが、ただ「失望」だけが残る結果といわざるを得ない。「(この結果は)APPが住民の権利をないがしろにしてきた負の遺産を処理する際の誠実さに疑念を抱かせる」ものでしかないようだ。

8. アスクルの《安心して使えない》格安コピー用紙
アスクルの「紙製品に関する調達方針」では森林認証されたパルプを優先的に使用することが謳われている。同社がAPPに製造を委託している「スーパーエコノミー」「スーパーホワイト」といったブランドは、LEI認証の受けたWKSのアカシア植林がその由来になっている。ただ、アスクルがそのウェブサイトで「認証紙の商品を使うことで森林保全につながる」と喧伝しているものの、WKSは植林地の造成で、豊富なカーボンを蓄え、生物多様性を育んでいる泥炭湿地を大規模開発しているばかりか、これまで述べてきたように、地元住民の多くの大切な農地を奪っている。

アスクルは、2013年2月5日、APPがFCPを公表したときに、「今後もAPPグループとの取引を継続する中で、この計画が着実に進められ、成果が表れてくることについて、監視および支援を続けてゆく予定」と述べエールを送っていた。少なくても土地問題の解決に関しては、FCPがちゃんと実施されているとは言い難い。アスクルが本当に「監視および支援」をするというのであれば、APPやTFTなどに期待をかけるのをやめて、莫大な需要で下支えすることで間接的にせよ現地の紛争に関与しているという当事者の認識に立って自らの責任で紛争の解決に向けて努力すべきと考える。紛争を「訴訟により当事者間で争うもの」などという傍観者然とした姿勢から一日も早く脱却していただきたい。

以上

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